はじめに

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バンドやソロで音楽活動をやっているといずれコピーに飽き足らず、オリジナルをやりたいと思うときがやってきます。しかし作曲と言っても何から始めていいのかわからない、あるいはやってみたけどうまく行かないと悩んでいる方も多いことでしょう。

僕自身も作曲はあまり得意な方ではないので、しょっちゅう悩んだり行き詰まったりしています。人にうまく説明できる自信もありません。でもだからこそ他の人に参考になる部分もあるのだと思います。音楽理論というものは何度勉強してもわかったようなわからないような気分ですが、人に説明することによって考えが整理されてくる面もあると思います。したがって半分は自分のためでもあります。

とりあえずまず最初はいきなり音楽理論に入るのではなく、作曲を行うにあたっての「心構え」みたいなものをいくつか述べてみたいと思います。ほとんど精神論みたいになってしまいますが、途中で投げ出してしまわないためにはこれは絶対必要だと思うのです。

作曲に王道なし!

人間誰しも同じ結果を得るならできるだけ楽をしたいと思うものです。それは作曲も同じで、簡単にポンポンと新曲ができるような方法があったら誰でも教えてほしいと思うでしょう。しかし世の中そんなに甘くはありません。

そんなニーズを狙ってか、スタイルやイメージを選ぶだけで簡単に作曲ができるという「自動作曲ソフト」がかなりの数出回っています。こういうものは実験としては面白いのでしょうが、僕はこういうものに否定的です。実際こういうソフトで曲を作ってみてもとても音楽的とは言えず、単なる音の羅列にしか聞こえません。こういうものは既製のパターンを組み合わせて、一応理論的に矛盾しないように音を並べているに過ぎないからです。何となく「それっぽい」曲はできても、心に訴えるような作品には到底なり得ません。

また完全自動とまではいかなくても、「初心者向け作曲ソフト」と称して、適当にメロディーを入力すると勝手に伴奏を付けてアレンジまでしてくれるようなものもありますが、こういうものに頼っていてもその「しくみ」がいつまで経っても理解できません。やはりできることには限りがあるのですから、それ以上の発展は望めません。

音楽を作る目的とは何か? それは人に感動を与えたり、楽しませたりすることでしょう。その基本を忘れてはなりません。優れた音楽は人間にしか作れないものです。その力は誰にでもあります。しかしその力を引き出すには少なからず努力が必要です。楽器の演奏だって人に聴かせられるレベルになるには相当な努力を必要とするでしょう? 結局、作曲に近道はないということです。多少遠回りに思えても、基礎をしっかり固めることが確実に目的地に到達できる唯一の道です。「いい音楽を作りたい」という気持ちさえあれば、どんな困難も必ず乗り越えられるはずです。楽して作曲したいと思っている人は今すぐその考えを捨てましょう。「本物」を目指すなら「ゼロから曲を作る能力」を身につけることを提唱したいと思います。

コードが先かメロディーが先か?

これは作曲家を悩ます永遠の課題でしょう。人によってはコード先行あるいはメロディー先行ばかりで作るケースもあるかもしれませんが、同じ人でもある時はコード先行、またある時はメロディー先行を使い分けるケースの方がむしろ多いのではないでしょうか?

僕はコード先行が苦手なタイプで、どうも先にコードを決められてしまうとメロディーを作りにくいのです。それよりはパッと浮かんだメロディーにコードを付けていく方がどっちかというと楽です。それでもコード先行で作るケースはありますし、特にメロディーの展開に行き詰まったときやメロディーを修正したいときにはコード先行の考え方が役に立ちます。同じ曲の中でもメロディー先行で作った部分とコード先行で作った部分が混在することも割とあります。

結局これはどちらが優れているというわけでもなく、人によって好きな方法で作ればいいのですが、ひとつ言えることはコード先行の方が万人に取っつきやすいということです。何にもない状態で五線紙に向かってみてもなかなかメロディーなど浮かんでこないものです。モーツァルトくらいの天才になればすらすらとメロディーが出てくるのかもしれませんが、これができるにはある程度「天性」が必要になると思います。一方、コード進行という「枠」を先に作ってやればそこからメロディーをひねり出すことは可能なのです。コード進行というものは音楽理論によって論理的に作り出すことができますし、そこからメロディーをひねり出す方法も確立されています。だからこそ自動作曲ソフトが可能なのでしょう。コード先行での作曲はどっちかというとプログラミングや数学に近い「技術」の部分であり、訓練すれば誰でも習得できるものなのです。そこには「天性」は一切必要ありません。

コード進行は音楽のナビゲーター

初心者がメロディー先行で作っていった場合、よくありがちなのは「童謡みたいになってしまった」というパターンです。僕も初めの頃はよくこのパターンに悩まされました。そしてあまりのダサさに途中で投げ出してしまうのです(笑)。なぜそうなるのかと言いますと、音楽には主要三和音というものがあって、それだけを使ってメロディーを作ってしまっているからです。音楽理論を何も知らずにメロディーを作っていくと、無意識のうちにこの主要三和音に見事に当てはまっていくのです。実際、童謡というのは主要三和音だけで作られています。主要三和音というのはそれほど強力なもので、それさえあれば伴奏ができてしまうのですが、そこから外れて独特の「味付け」をしていくのが音楽理論なわけです。ですからこれを知っているのと知らないのとではメロディーの幅に大きな差が生まれてきます。

また普通曲を作るときには「こんな雰囲気にしたい」というおおよそのイメージはでき上がっているでしょう。しかし曲を作っているうちに最初思っていたイメージとは全然違う曲になってしまったというパターンも少なくありません。実は僕はこのパターンにしょっちゅう悩まされています(笑)。なぜそうなるのかと言いますと、コード進行なしでメロディーをどんどんつなげていくと、メロディーが一人歩きしていわば「暴走」した状態になってしまうのです。それで目的地とは全然違うところに着いてしまうと・・(笑)。これを避けるにはコード進行という「地図」が不可欠なのです。曲の雰囲気というのはコード進行によっておおよそ決まりますから、最初にそれさえきっちり作ってやれば大筋から外れることはないのです。

とにかく1曲完成させる

これも僕がよく陥ったパターンですが、曲を作っているうちにだんだん「ダサく」思えてしまい、途中で「や~めた」と投げ出してしまうパターンです。そして作りかけの曲ばっかり溜まっていくという症状に陥ります(笑)。しかしこれが一番良くありません。別に長い曲を作る必要はないのです。普通の歌モノならAメロ、Bメロ、サビがそれぞれ8小節ずつくらい、合計24小節もあればとりあえず1コーラス完成してしまいます。一度に無理ならまず8小節のフレーズを作ってみることです。それを3つ集めれば1曲完成です。そうやってとにかく1曲完成させられればしめたものです。それが大きな自信になって次の曲への意欲が湧いてきます。

名曲を作ろうと思うな

これが1曲完成させることへの最大の障害です。作曲を志す人なら誰しも人を感動させるような名曲を作りたいと思うものですが、最初からそんなにいい曲ができるわけがありません。作曲に限らずスポーツでも何でも言えることですが、最初から上手い人なんてのは存在しないのです。みんな初めは初心者だったのです。名曲を作ることばっかりを考えていると、作ってはやめ、作ってはやめ・・のパターンからいつまでも抜け出せません。ですから名曲を作ろうなんて考えはきっぱりと捨てましょう。別に人に聴かせるわけでもなければ習作でも何でも構いません。とにかく数を作ることが大切です。まあ100曲作って1曲でもマシなのがあれば・・という気持ちで臨めばもっと気楽に作れるはずです。

作曲とは良い音楽を聴くことである

作曲というのは一見すると無から有を生み出す作業のように思えます。しかし本当に何もないところからは何も生まれてこないのです。曲を作ろうと思ったとき、「こんな感じの曲にしたい」というイメージが必ずあるはずです。意識的にせよ無意識的にせよ、それは結局、過去に聴いた曲のイメージを引き合いに出しているわけです。これまでに聴いたこともない曲というのは想像のしようもありません。つまりインプットがなければアウトプットもあり得ないのです。

僕はもともとクラシックから入った人間なので、作る曲はどうしてもそれっぽくなってしまいます。たとえば僕にヘビメタを作れと言われても無理です(笑)。それは今までにしっかり聴いたことがないからです。もしもモーツァルトが生きていた時代にブルースを作れと言われても、さすがのモーツァルトでも無理でしょう。聴いたこともない音楽はいくら天才でも作りようがないのです。

ですから作曲の幅を広げるためにはできるだけ偏らずいろんなジャンルの音楽を貪欲に聴くことです。聴いたら聴いただけそれは自分の栄養になります。残念ながら僕はそれができてないので、作れないジャンルの曲がいっぱい存在します。「食わず嫌い」はいけないと思っているのですが、どうしても好みができてしまいます。まあすべてのジャンルの曲を作るなんて誰にとっても無理でしょうから、そこまで完璧を求める必要もないですが、作曲を志すならなるべく好き嫌いはなくした方がいいと思うのです。

作曲は実践あるのみ

これは作曲に限ったことではありませんが、本を読んだり講義を聴いたりしているときは何となくわかったような気分になるものです。しかしいざ作れと言われても手も足も出ない・・そんな経験が誰にでもあるのではないでしょうか? 知識ばっかり詰め込んで実際に手を動かそうとしない「頭でっかち」になる人がたまにいます。しかしいくら知識を詰め込んでも使えなければ意味がないのです。実際に手を動かし、自分の耳で音を聴かないことには作曲は決してモノになりません。そのためには4小節くらいのごく短いフレーズをたくさん作っていくことが効果的です。いくら忙しい人でも一日に10分や15分くらいの時間はあるでしょう。その時間を1フレーズ作ってみることに費やせばよいのです。

音楽理論は絶対ではないが・・

世の中には楽譜を読めないミュージシャンはたくさんいますし、ましてや音楽理論など知らない人はいくらでもいます。それでも素晴らしい音楽を生み出しているのは、彼らが天才であり、経験的に人の心に訴える術を体得しているからです。

しかし凡人であればあるほど音楽理論に頼る割合が多くなってきます。それはちょうど文法のようなもので、われわれ日本人は別に文法など知らなくても普通に日本語を話すことができます。しかし初めて英語を習ったときは、まず文法から入るでしょう? 文法を知らなければきちんとした英語は話しようがないからです。

作曲もそれと同じで、音楽理論を知らなくてもとりあえずメロディーは作れますが、それだけでは支離滅裂になってしまったり、ワンパターンから抜け出せなくなったりします。そんなとき音楽理論の力を借りれば、自然で流れの良いメロディーができたり、もっとインパクトのあるメロディーができたりと幅が広がっていくわけです。

しかし文法にばかりこだわっていては本当に文学的な表現は生まれないように、音楽理論にこだわりすぎると退屈な音楽しか生まれない危険性もあり得ます。時には理論を無視してみると斬新なサウンドが生まれることもあるでしょう。要は使いようで、聴いていて違和感のない音楽を作るための「道しるべ」として使えばいいのです。天才でない限り、何もないところから作ることは難しいので、音楽理論は知らないよりは知っていた方が確実に楽に曲が作れる・・そのくらいのものです。

作曲とは1%の天性と99%の努力である

前にも言いましたように、コード先行での作曲はある程度機械的にできるものであり、それは訓練によって習得できる「技術」なのです。技術ですからやればやるほど必ず上手くなります。

一方で「名曲ほど短時間で作られる」という格言もあります。実際、ビートルズの「イエスタデイ」は夢の中で作られたと言われています。本当に美しいメロディーは天から舞い降りるように湧いてくるものなのかもしれません。インスピレーションは天才にだけ与えられたもので、凡人の及ぶところではないのでしょう。確かにそういう部分もあることは否定はしません。

しかし100%は天才に及ばないにしても、99%までは努力次第で到達できるのも作曲という創造の面白さでもあります。まあそこまでは無理としても、せめて50%くらいを目指しましょうというのがこの講座の目的です(笑)。

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